オーストリアへの旅 その参/ハイリゲンシュタット編

王宮宝物館(Schatzkammer)にてあまりにも大きくて現実離れした宝飾品たちを見学した後は、ウィーン郊外、ベートーヴェン縁の地ハイリゲンシュタットを訪れました。ショッテントーア(Schottentor)から38番のトラムに乗って終点のグリーツィング(Grinzing)へ。トラムを降りたら線路を渡って坂を下って行きます。道なりに少し歩くと、最初の交差点の角に教会がありました。


ベートーヴェンはいつも聞こえるはずの教会の鐘の音が聞こえなかった事で自分の難聴を自覚し、自殺を考え、ここハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)で遺書を書き残したのだそうです。そんな事を考えながら写真を撮っていたら、ちょうど教会の鐘が鳴り響きました。夕方17時を告げる鐘でしょう。この鐘についてちょっと調べていたら、ある方のブログにこんな記述がありました。

ベートーヴェンピアノソナタ月光は、難聴を自覚するきっかけとなった教会の鐘の音を表現したものなのかどうか。

そう。確かに記憶を辿ってみると教会の鐘の音は「カーン・カ・カーン」というリズムで、一定の音で、まさに第1楽章で繰り返し流れるフレーズです。ベートーヴェンはこのピアノソナタ「月光」を作曲した1年後にあの有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたのだそうです。ベートーヴェンは遺書の中で次のように書いています。

私の傍らに座っている人が遠くから聞こえてくる羊飼いの笛を聞くことができるのに私にはなにも聞こえないという場合、それがどんなに私にとって屈辱であったであろうか。そのような経験を繰り返すうちに私は殆ど将来に対する希望を失ってしまい自ら命を絶とうとするばかりのこともあった。
そのような死から私を引き止めたのはただ芸術である。私は自分が果たすべきだと感じている総てのことを成し遂げないうちにこの世を去ってゆくことはできないのだ。

遺書の中では自殺を思いとどまった経緯、音楽への思いを書き残していますが、この曲を作曲した時期はちょうど難聴という現実に最も苦悩していた頃なのではないでしょうか?聴こえなくなった鐘の音を探し求めていたその心情がこの曲に込められているのだとしたら、本当に切ないですね。



プラプラお散歩しながらベートーヴェンが第九を作曲したと言われる家、今はホイリゲとなっている場所を目指しました。



オーストリア国旗で作られた「W」の形は観光ポイントの目印。



ベートーヴェンマップを発見。時間があったらベートーヴェンの像(地図の左上)まで行きたかったなぁ。



これが目指したホイリゲMAYER」、入り口の看板です。



せっかくなので屋外でいただこうとワインを持ってきてもらったら、あっという間に雨が降ってきて慌てて屋根の下へ移動しました。そのため、ちょっと変わったお食事(後日、それがセンメル クネーデルという郷土料理だという事がわかりました!)をいただいたのですが写真に残せませんでした。残念…